人がどんな‘権利の主体’だという言葉がある。これは他の人の‘権利の対象’ではなくて、‘権利の主体だ’ということをはっきり明かす言葉である。世界人権宣言のような国際人権規約文でどの権利を宣言する時‘みんなは’または‘人はだれに限らず’という表現する理由は‘各々の権利(rights of man)’ではなくて‘人らしく暮らす権利(human rights)’、‘人間らしく暮らす権利’になる。すなわち、人の人らしさを実現する権利である。人間的だという言葉、すなわち人間らしいという言葉は人権の本質的な概念である。‘人らしく’という言葉には人間的なすべてを認めて、正当に見る人間観を含んでいる。人権の発展はそれほど人らしさを評価する基準にするによって人を価値の根拠にすることで成ってきた。人が目的で、人間が価値の根拠で、人の人らしさが最高の価値である。
権利としての人権は人間にたいする‘人間の主体性’を確立することだ。各々がみんな重要で、そのような意味でみんなは一人である。人は手段ではなくて目的だ。一人としての人格、正に人らしさは人を目的に対する時に可能だ。人が目的なら人対人は目的対目的の関係だ。人権は人と人の相互関係を目的の関係として立てる事と関係がある。また、人権は人と人の関係を平等に作る‘主体と主体の関係’を可能にしてあげる。人権は人と人の間の平等な官階を通じて人間関係を回復することと関係がある。人と人の関係を正しく正立しようとする人権は民主主義を確立することに発展する。それは人ならだれも人種、身分、故郷と出身学校、職業などとかかわらず大事に見る世界観につながっている。人を見ないで人の根を見れば正義と原則がない社会になるという話がここから出る。